/// 舞楽「伽陵頻(かりょうびん)」概要
■伝来■
天平8年(736年ごろ ※奈良時代)
■伝来者
ベトナム僧・仏哲(生没年不詳)
■作曲■
不明
■振付
不明
■分類
左方(さほう)・唐楽・壱越調(いちこつちょう)
■番舞(つがいまい)
右方(うほう)・高麗楽「胡蝶」
ベトナム僧・仏哲(ぶってつ、生没年不詳)は、バラモン僧正・菩提僊那(ぼだいせんな、704~760年)に伴われて来朝しました(736年、「東大寺要録」)。
このとき、仏哲はインド・ベトナム系舞楽である「林邑八楽(りんゆうはちがく)」を伝えました。便宜上、現在は唐楽に分類されている「迦陵頻(かりょうびん)」も、「林邑八楽(りんゆうはちがく)」のひとつです。
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林邑八楽(りんゆうはちがく)は、
(1)「菩薩(ぼさつ)」
(2)「陪臚(ばいろ)」
(3)「抜頭(ばとう)」
(4)「迦陵頻(かりょうびん)」
(5)「胡飲酒(こんじゅ)」
(6)「蘇莫者(そまくしゃ)」
(7)「輪鼓褌脱(りんここだつ)」
(8)「剣気褌脱(けんきこだつ)」
もしくは
(6)「万秋楽(まんじゅうらく)」
(7)「蘭陵王(らんりょうおう)」
(8)「安摩(あま)」と「二ノ舞」※続けて演じられるため「ひと演目」
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と、伝わります。
舞楽「伽陵頻(かりょうびん)」 |
/// 人面鳥「迦陵頻伽(かりょうびんか)」
舞楽「伽陵頻(かりょうびん)」が表現するものは、阿弥陀経や妙法蓮華経(法華経)に出てくる極楽鳥「迦陵頻迦(かりょうびんか、kalavinka)」舞い飛ぶ世界です。
天竺(てんじく)で行われた祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)供養の日、極楽から美しい声で歌う鳥が飛んできて舞い遊んだので、妙音天(みょうおんてん)がその様子を楽舞に変え、仏弟子・阿難尊者(あなんそんじゃ)に伝えた舞楽と言われます。
単語がことごとく仏教的すぎてわかりにくいと感じますので、あえて今風に訳します。「インドの祇園寺でお釈迦様がありがたいお話しをした日、極楽の鳥が美しい声で歌いながら舞ったので、仏教を守護していた弁天さまがこれを舞楽に変え、仏弟子・アーナンダに与えた」という意味です。
ところが困ったことに、A.D.400年ごろ漢訳された阿弥陀経や法華経に出てくる迦陵頻迦(かりょうびんか)は、サンスクリット語原本(B.C.1~200年ごろ)には登場しません。わたしは、ちょうどA.D.400年ごろ中国付近で隆盛だった預言者マーニー(マニ教)の「光の友」思想が、それとなくブレンドされているように感じます。マーニーの教えには、光と闇の空飛ぶ戦士がたくさん出てきます(「プラグマティア」)。もちろん羽根のある光の戦士と闇の戦士が大仰な空中戦を繰り広げるストーリーは、ゾロアスター教が先達です。
これは仕方のないことで、イスラム教の勃興(A.D.600年ごろ)まではユダヤ教異端エッセネ派とゾロアスター教とマニ教、ジャイナ教と仏教は渾然一体となって活動しており(グノーシス主義の伝播のため)、たいていの古文献では全部一緒くたに「マギ(祈祷、の意味)」と呼ばれています(「新約聖書」など)。加えてマーニーは、意図的にユダヤ教・キリスト教・仏教・ゾロアスター教をかけ合わせた統合宗教として「マニ教」を作り上げました。結局ゾロアスター教に追われ刑死する預言者マーニーですが、その教えは広く中国文化圏へ到達し、今もなお生き続けています(福建省などの摩尼教)。
なおゾロアスター教やマニ教はイスラム教にとり込まれたため、イスラム教には羽根のある天使がたくさん出てきますよ(ジブリールやイズラーイールなど)。
この「人面鳥」というか「鳥人間」の起源は、古代人が抱えていたプテラノドンなど古代の鳥型恐竜の記憶だろうと言われています。古典において天使は、たんに「羽根のある人」ではなく、「羽根のある巨人」と描かれることが多いからです(ゾロアスター教、マニ教、イスラム教、キリスト教「ヨハネの黙示録」など)。ただし阿弥陀経や法華経の迦陵頻迦(かりょうびんか)は、巨大ではないようです。
たとえば我が国の古典「古事記」では、ヤマトタケルは死後、大きな白鳥に変身し空の彼方へ飛び立ちます。編纂年代は阿弥陀経や法華経の漢訳よりずっとあと(A.D.700年ごろ)ですが、「古事記」の方が古い言い伝えを多くとりこんでいるようです。
鳥人間伝説は、人類の遺伝子に残る空飛ぶ恐竜の記憶です。だから世界各地に、それぞれの文化的背景をもった鳥人間伝説が残っているわけです。
ところが、わたしは子どものころイランの古い叙事詩「王書(シャー・ナーメ)」にドハマリしました。ですので大きな鳥の話題が出ると、「英雄ヤマトタケル+大白鳥」より「英雄ロスタム+大鳥スィームルグ」を先に連想してしまいます。日本人でありながら白鳥や鶴への愛着は薄く、スィームルグがひどく恋しい、おかしなわたしです。
上月まことイラスト・極楽鳥「迦陵頻迦(かりょうびんか)」 |
/// 歌舞伎舞踊・長唄「雛鶴三番叟(ひなづるさんばそう)」の千歳(せんざい)
詳細不明の最古の歌舞伎舞踊・長唄「雛鶴三番叟(ひなづるさんばそう)」の、露払い・千歳(せんざい※伝説上の人物名は「ちとせ」でOK)は、舞楽「迦陵頻(かりょうびん)」の羽をそのまま布地に変えたような衣装で踊ります。ときには作り物の羽を背負って踊り、ほぼ舞楽「迦陵頻(かりょうびん)」になることもあります。
上月まことイラスト・長唄「雛鶴三番叟」 |
個人的な意見ですが、長唄「雛鶴三番叟(ひなづるさんばそう)」千歳(せんざい)は、舞楽「伽陵頻(かりょうびん)」を歌舞伎化したものだと思っています。
///「源氏物語」胡蝶の巻
◆源氏物語「胡蝶」あらすじ
光源氏はかつての恋人・六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の遺児で養女の秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)の里帰りに際し、自身の邸宅(六条院、六条御息所邸の跡地)の東側・春の町に咲きつどう花の美しさを、西側・秋の町にいる秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)にも見せてあげたいと思い立ち、盛大な舟楽(舟と雅楽のあそび)を催した。数日続いた舟楽のある日は中宮の催す「季の御読経(きのみどきょう、宮中で旧暦二月と同八月に催される、経をあげる日)」にあたっていたため、春の町にいた殿上人(てんじょうびと)はひとり残らず秋の町へ来た。春の町の主である紫の上は女童(めのわらわ)4人に舞楽「伽陵頻(かりょうびん、中国から伝わった極楽の鳥の踊り)」の衣装を、別の女童(めのわらわ)4人に舞楽「胡蝶(こちょう、我が国で作られた胡にいる蝶の踊り)」の衣装を着させ、お供えの花を届けさせた。 |
舞楽「伽陵頻(かりょうびん)」は、源氏物語に登場することで有名です。
紫式部(生没年不詳、平安中期の女流作家)「源氏物語」24帖「胡蝶」 |
鶯のうららかなる音に鳥の楽はなやかに聞きわたされて、池の水鳥もそこはかとなくさへづりわたるに、急になり果つるほど、飽かずおもしろし。蝶は、ましてはかなきさまに飛び立ちて、山吹の籬のもとに、咲きこぼれたる花の蔭に舞ひ入る。 (現代語訳) 鶯のうららかな啼き声に乗って「鳥の楽」が華やかに聞こえわたり、池の水鳥がそれとなく曲に合わせてさえずりはじめるころ、ふいに曲調が「急(序破急の急)」に変わって舞が激しくなるのは、何度観ても飽きないほど風変わりで素晴らしい。「蝶の楽」はそれにもまして、である。はかない様子で飛び立ったかと思うと、山吹の花垣の根元へ集まり、咲きこぼれる花の影に舞いながら入ってゆくのが、切なくてとても美しい。 |
舞楽「伽陵頻(かりょうびん)」も同「胡蝶」も、本来は美豆良(みずら)姿の男児4人による稚児舞です。「胡蝶」の巻で紫の上が女児(女童=めのわらわ)に舞わせたのは、花と舞のお供えが女性皇族に届ける贈りものだったからです。
上月まことイラスト・舞楽「伽陵頻(かりょうびん)」 |
「源氏物語」に「鳥の楽はなやかに」と描かれた舞楽「伽陵頻(かりょうびん)」は、序破急の「急」にあたる舞です。そのため振りはちょっと激しく勢いがあって、我が国「雅楽」特有の、仏教くささが気にならない良い演目となっています。
中国舞楽や朝鮮舞楽など、渡来系舞楽はほんとうは儀礼宴饗(ぎれいえんきょう)のための演目なのに、我が国ではその儀礼宴饗(ぎれいえんきょう)が仏教供養の供物(くもつ)として上演されました。そのため、にぎやかで楽しい曲調にわざわざ手を加え、仏教風・お説教向きの退屈な曲調に変えてあったりします(関係者の方々、ごめんなさい!)。
とはいえ、やはりわたしは日本人。中国の「宴饗楽(えんきょうがく)」そのものは、どうにもうるさくて聞いていられないため、我が国なりの「雅楽」に改変された現在の舞楽の「破(「青海波」など)」や「急(「伽陵頻」など)」が好みです。「雅楽はつまらない」と思っている向きには、「青海波(せいがいは)」や「伽陵頻(かりょうびん)」を、まずはお試しいただきたい!
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上月まこと
本文・イラストともに上月まこと。一部パブリックドメインの写真や絵画を利用しています。Copyright ©2019- KOUDUKI Makoto All Rights Reserved. |
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