2020年12月19日土曜日

あぁ、猿だらけ。~山王の、桜に猿がさんくだり。長唄「猿舞」という踊り(全訳)


Kabuki Sukeroku Danjuurou 7th : 歌川豊国画「7代目目玉団十郎」タイトルイラスト





 /// 長唄「猿舞」概略 

■本名題■
三升猿曲舞(しかくばしら さるのくせまい)

■初演■
7代目 市川団十郎(1791~1859年)、文政2年(1819)11月、江戸・河原崎座

■作曲■
4代目 杵屋六三郎(1779~1856年)

■作詞
2代目 瀬川如皐(せがわじょこう、1757~1833年)

■振付
3代目 藤間勘兵衛(生年不詳~1822年)



長唄「三升猿曲舞(しかくばしら さるのくせまい)」は文政2年11月18日江戸・河原崎座で初演された「奴江戸花鎗(やっこやっこ えどのはなやり)」という興行の一部で、(一番目)六立て目の演目です。好評を受けてその後、独立した踊り・長唄「猿舞」(本名題「三升猿曲舞」)になるのですが、初演時の歌詞とその後の歌詞には微妙な違いがあるのです。

昭和8(1933)年刊行「日本戯曲全集」第47巻(春陽堂)のおかげで、初演時の歌詞も残っています。とても面白い内容だと思いますので、後年の長唄「猿舞」歌詞といっしょに紹介させていただきます。

ところで、歌詞の大部分は室町時代の小歌と三味線組歌のうち最古典「飛騨組」の小歌から構成されており、前後に意味のつながらない部分があります。そのため、歌詞だけ見れば「長唄」というより、「長歌(小歌をつなげたもの)」に近い仕上がりです。江戸後期に作られた比較的近代の演目ですが、江戸初期の三味線組歌や女歌舞伎の雰囲気を再現しようとした、意欲作のようです。

(伝承絵)長唄「三升猿曲舞」初演時の番附
長唄「三升猿曲舞(さんかくばしら さるのくせまい)」初演時の番附


「三升猿曲舞(しかくばしら さるのくせまい)」の主役は歌舞伎狂言上の羽柴秀吉こと「眞柴久吉(ましばひさよし)」、初演時は7代目 市川団十郎(1791~1859年)が演じました。興行「奴江戸花鎗(やっこやっこ えどのはなやり)」は太閤記ものの集大成=コンセプト上演で、女五右衛門(傾城・石川屋の真砂路)が登場し「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」を演じたり(一番目五立て目)、眞柴秀吉が奴踊り(一番目六立て目、三升猿曲舞)を踊ったり、「三木合戦」の別所小三郎重清(役名・別所長治小三郎)が登場し、犬と狐が争うのを仲裁したりします(二番目演目)。初演当時、犬と狐の闘いは人気のテーマでした。猿(眞柴久吉)やら犬(犬神のしもべ・大内義隆)やら狐(小女郎狐)やら。ふう。。。




 /// 長唄「猿舞(さるまい)」と長唄「三升猿曲舞(しかくばしらさるのくせまい)」の註解 


◆水の月取る猿澤(さるざわ)
猿沢池(さるざわいけ)は奈良県春日山のふもとにある池で、この池を中国の仏書「摩訶僧祇律(まかそうぎりつ)」記載の、「500匹の猿が手をつないで木からぶら下がり、池の月影を盗ろうとした」故事の舞台に見立てている。※「猿猴捉月(えんこうそくげつ)」 

◆さす手引く手の末広や
踊りの手振りのこと。指したり引いたり、手を広げたりして踊ること。

◆止観(しかん)の窓
月見障子や、月見デザインの道具など。
仏教では「止」は集中した結果心が静かになること、「観」はその心で対象をするどく観察し、来し方行く方へ思いを馳せることを言い、禅宗などでは「止観座禅(しかんざぜん)」が推奨される。月見障子などはこの境地を意匠化したもの。

◆片割れ月
半分欠けた月。

◆可愛い可愛いとさよへ<長唄「猿舞」のみ>
「さよへ」は「さ夜更けて」の略で、「夜更けまで」という意味。

◆おもたげなく
思いなやんだ様子もなく。

◆およる
(男性が)寝る、眠ること。

◆奴島田(やっこしまだ)に丈長(たけなが)かけて
丈長(たけなが)は「丈長奉書(たけながほうしょ)」の略。
丈長奉書(たけながほうしょ、和紙の名前)や杉原紙(すぎはらがみ、和紙の名前)などを畳み、元結の上から飾りとして結ぶために使った。平元結(ひらもとゆい)などとも呼ぶ。奴島田(やっこしまだ)は未婚女性の髪形のひとつ。

◆品(しな)やる
「女郎がしなを作る」と「木槍(毛槍、花槍)の先がしなる」とを掛けた言葉。

◆巻き端折り(まきばしょり)<長唄「三升猿曲舞」のみ>
着物の裾をからげて巻き上げること。

◆投げ草履<長唄「猿舞」のみ>
供奴(ともやっこ=お供する下人)が草履を差し出す方法のひとつで、主人が履きやすいように、ちょっと投げてその足許(あしもと)へ滑り込ませるわざ。

◆仇者(あだもの)<長唄「猿舞」のみ>
にくい奴。

◆馬場先(ばばさき)<長唄「猿舞」のみ>
馬場で馬を乗りとめる場所。馬場先(ばばさき)とか、馬場末(ばばすえ)などと言う。

◆色めく飾りの伊達道具<長唄「猿舞」のみ>
奴行列で奴が持つ「木槍(きやり)」には、槍の先に毛ぶり(毛槍)や花(花槍)が付いていた。

◆昔模様の派手奴
裾をからげた腰巻姿に深編み笠、派手な模様の上着というのだから、元禄頃に流行った「武士が遊郭を訪れる際の腰巻丹前姿」のことだが、文政2年には「昔風」と見えるらしい。ちなみに元禄ごろ流行した着物の模様は縫箔(ぬいはく)で、「伊達(だて)模様」と呼ばれた。

(伝承絵)月岡芳年画「丹前姿」
月岡芳年画「丹前姿」武士の夜遊びスタイル


◆鎌わぬ=鎌輪奴(かまわぬ)
7代目が考案した、市川団十郎の役者紋。

◆山王の桜に猿が三くだり<長唄「三升猿曲舞」のみ>
江戸時代に流行った地口狂歌(駄洒落狂歌)で、元は「山王の 桜に三猿 三下がり 合の手と手と 手手と手と手」、テトテトテテトテトテは三味線の音色。要するに、この猿は桜の下で三味線に合わせて踊っている。「猿廻し」の猿のこと。

◆鞠(まり)の庭にも猿の神
藤原成通(ふじわらなりみち、公卿、歌人、1197~1162年)の「成通卿口伝日記(なりみちきょう くでんにっき)」に記述された、蹴鞠(けまり)の庭で猿の神と出会った物語。蹴鞠(けまり)の達人であった藤原成通が出会ったそれは、顔は人間、手足は猿、人間で言えば三・四歳ぐらいに見える童子形の三柱(さんはしら)で、それぞれ額に金色の文字で「春楊花(しゅんようか)」「夏安林(げあんりん)」「秋園(しゅうえん)」という名が記(しる)されていた。猿の鞠神は「蹴鞠(けまり)の庭にいるとき人は邪念がない。だから蹴鞠(けまり)を好む世は太平で、その人々は功徳を積み来世もまた幸せになれる」と、藤原成通に伝えた。<『群書類従』第19輯・蹴鞠部巻354、『古今著聞集』巻第11蹴鞠第17>

◆馬瀝神(ばれきしん)
平安時代、十干十二支(じゅっかん じゅうにし)の庚申(かのえさる=こうしん)の日には寝てはいけないという、道教の呪術「庚申待ち」が流行した。この「庚申待ち」は仏教化すると「庚申尊(こうしんそん)」という民間仏信仰になって僧侶によって広められ、さらに日吉山王信仰(ひえさんのうしんこう)と習合し「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿信仰へも発展する。また「庚申尊(こうしんそん)」が猿に化けて馬を助けてくれる伝説(天竺から猿が飛んできて馬を助ける伝説)が捏造され、厩(うまや)の守り神として猿の骨などを飾る風習が全国的に定着した。庚申(かのえさる、こうしん)の日のシンボルにすぎない「庚申尊(こうしんそん)」が馬のため化けるのが「馬瀝神(ばれきしん)」で、「馬瀝神(ばれきしん)」の下降を祈願し猿を用いて定期的な祈祷を行うのが「猿廻し」の本業だった。馬を操る武士たちが猿廻しを「めでたい」と喜んだのは、「馬瀝神(ばれきしん)信仰」があったから。

◆猿と獅子とは文殊の侍宿(じしゅく)
侍宿(じしゅく)は侍の待機所であり、同時にそこで待機する侍たちのこと。
三猿信仰「見ざる・言わざる・聞かざる」は「猿知恵」として知られ、寺社仏閣の壁の飾りになった。各経典の元となったジャータカ(本生物語)では「猿知恵」は浅知恵のことで悪い意味だが、「馬瀝神(ばれきしん)信仰」と知恵をつかさどる文殊菩薩の「三人寄れば文殊の知恵」の諺(ことわざ)が混同され、日本では良い意味に変わってしまった。そのため古い日本の考えでは、獅子は文殊菩薩の台座として仏に奉仕し、猿は猿知恵(見ざる、言わざる、聞かざる)を民衆に見せることで仏に奉仕する仏弟子で、猿と獅子はどちらも同じ「文殊菩薩の従者」と信じられた。

「猿知恵」-園林を猿が荒らしたはなし-(ジャータカ=本生物語、南方上座部「経蔵」上部経典)

ブッダは過去世を話された。

ブラフマダッタ王の治世、バラナシで大きな祭があった。王の園林を管理していた園丁も太鼓の音に落ち着かなくなり、祭に出るため園にたくさんいる猿たちに若木の水遣りを頼んだ。猿たちはこころよく引き受け、熱心に仕事をこなしたが、途中で猿の頭目が「水がもったいないから、若木をいったん土から引き出し根の深さを確認してから、正しい量の水を注ごう」と言ったので、皆それに従って若木を引き抜きながら水遣りをした。そこへ賢者が通りかかり、猿の頭目を叱って言うには「善意であってもためになるとは決まっていない」「無知の者は利益を失うものなのだ」と。根を引き抜かれた若木は枯れた。

このときの賢者は、わたしの前生である、と。


◆花の富貴(ふうき)の色見えて
牡丹の花は別名「富貴花(ふうきばな)」、冬牡丹は市川団十郎の家紋の花。

(伝承絵)歌川豊国画「七代目 目玉団十郎」
歌川豊国画「七代目 目玉団十郎」





 /// 初演時の長唄「三升猿曲舞」浄瑠璃歌詞(全訳) 

小田館の奥御殿に眞柴久吉(羽柴秀吉)の前の主人の妻だという老女が闖入し、小田家(織田家)の中間(ちゅうげん)になった久吉を返せと言う。久吉は小田家で軍師として働いていたが、久吉の出世をこころよく思わない小田家譜代の老臣らの手前、一時的に身分を中間(しもべ、奴)に落とされていた。

老女の訴えを受け、小田春永(織田信長)は金の蒔絵で飾った貝(袷貝の盃)を差し出すが、老女は「こんなピカピカなもの、お大名さまは奢(おご)ったことを」と言って放り出した。春永はそれを見ると、「女子は自分を愛でる者のために容色を磨く、こころざしのある男は自分を理解してくれる者のために死ぬ」と言い、年季証文を抱えて来た老女の訴えをしりぞけた。

しかし老女は春永の言葉が理解できない。久吉は貝盃を拾うと古主である老女に解説しようとし、春永から「猿面の猿冠者が、また差し出た真似を」と叱られる。そこでまわりの重臣が、「いつものように猿真似の舞で主人を慰めろ」と久吉に言い、久吉が舞い始めると中間仲間もいつものように、久吉を妬(ねた)んで舞を囃(はや)し立てた。

※太字は原文、細字は現代語訳
2代目 瀬川如皐(1757~1833年)作、長唄「三升猿曲舞(しかくばしら さるのくせまい)
頼うだ人のお前にて さらば一(ひと)さし舞はうよ
  そうであれば、奉公申し上げる主(しゅ)さまの御前(おんまえ)にて、
ひとさし舞わせていただきましょう。
猿が参りて こなたの御知行(ごちぎょう) まさる目出度き能 仕(つかまつ)
  こうやって猿めが参りまして、こなたさまのご知行の地へ、
すぐれてめでたい能を、献上させていただくわけで。
水の月取る猿澤(さるざわ)の 池の漣(さざなみ)ゆうゆうたり さす手引く手の末広や
  この滑稽な猿めが、愚かにも水面(みなも)の月を盗ろうとする猿沢(さるざわ)の、池の漣(さざなみ)は水量ゆたかに、ゆうゆうと。その流れに身をまかせるように、猿めもこうして、指したり引いたり手を末広に広げたり、たのしく舞わせていただきまする。
月に譬(たと)えし止観(しかん)の窓
  月にたとえた月見障子の、こころを清める止観の窓。
こなたのお庭を見上(あ)ぐれば 片割れ月は宵のほど
  こちらのお庭から見上げてみれば、半分かけた月が水平線近くに、大きく浮かんでおりました。
松の葉越しの月見れば
[中間仲間・直平]「出て見よ 出て見よ、月を見よ」
[中間仲間・峯平]「そっと出て見よ、またまた月を」
  何を待つともなく、松の葉越しにその月を見ていたのですが、
[中間仲間・直平]「出て見よ、出て見よ、月を見よ」
[中間仲間・峯平]「そっと出て見よ、またまたその月を」
(しば)し曇りて又 冴ゆる
  少しのあいだ曇ったかと思えば、またすぐ冴える月の影。
あすは出(で)ようずもの 船が出(で)ようずもの おもたげなく およるきみよの
  明日にはきっと出航できますね、船はきっと、出てくれますね。
それにしても、お前さまは思い悩む風もなく、よくそんなにぐっすり眠っていられるものだわ。
船の中にはなにと およるぞ 苫を敷き寝の楫枕(かじまくら)
  さて、船の中ではどうやって寝ればよいのやら。
そう聞かれれば、「苫(とま=ござのようなもの)を敷いて、楫(かじ)を枕に」と答えます。えェ、いいですよ、船ではいっしょに寝ましょうね。
晩の泊まりは御油(ごゆ)赤坂に 吉田通れば二階から招く しかも鹿の子の振袖が
奴島田にたけなが(丈長=髪飾り)かけて 先のがしなやる 振り込めさ
[久吉]「奴のこのこ 奴らさ 奴鰻(やっこうなぎ)のぬらくらと どこまであがる奴凧(やっこだこ)
  晩の泊まりは御油宿か赤坂宿(ともに愛知県豊川市)のはずが、吉田宿(愛知県豊橋市)を通ったところで女郎屋の二階から誘われてしまい。
しかも鹿の子絞りで飾りたてた、色っぽい振袖が目の前をひらひらと。
奴島田に丈長(たけなが)を結んだいい女が、その振袖の先をしなしなさせながら。
だからこちらも木槍(きやり)の先のしなったやつを、えいや女に振り込んでしまえ、とばかりに。
[久吉]「奴がのこのこヤッコラサ、奴鰻(やっこうなぎ)はぬらくらと。それ、どこまでも揚がれ、奴凧(やっこだこ)」。
春の日蔭のうらうらと 廓(さと)の柳の露霜(つゆしも)踏んで
深編笠(ふかあみがさ)にまき端折(ばしを)り きやつが元へと 忍ぶ身は
  人目を避け、春の日影をうらうらと。廓(くるわ)の柳の下に隠れ、そっと露霜(つゆしも)を踏んで歩きながら。深編み笠に巻き端折(ばしょ)りで、あいつのところへ忍んでゆくこの身は、まるで。
[久吉]「奴の床<ヤットコ>を右に見て 衣紋を結ぶ奴髭(やっこひげ)<旗本奴の代表「志賀仁右衛門」>
[中間仲間・直平]「奴豆腐(やっこどうふ)に振りかけた」
[中間仲間・峯平]「七色奴唐辛子(なないろやっこ たうがらし)
[中間仲間・両人]「からい目見せてくれべいか<米菓「奴あられ」など>
  [久吉]「ヤットコで結んだ、仁右衛門(にえもん)の奴髭(やっこひげ)
[中間仲間・直平]「それを奴豆腐(やっこどうふ)に振りかけた」
[中間仲間・峯兵]「七色奴唐辛子(なないろやっこ とうがらし)を振りかけた」
[中間仲間・両人]「からい目見せてみ、とっても小粒な奴アラレ」
昔模様の派手奴 これ鎌(かま)わぬ<構わぬ=鎌輪奴>の始めなり
  この昔風の縫箔(ぬいはく)模様、腰巻丹前姿の派手な奴が「鎌輪奴(かまわぬ)」柄のはじまりなのだ。
さらば引かせん 山王の 桜に猿が三くだり 手に手 手に手 の合いの手や
  引かれたならば、こちらも引くぞ、山王祭の車曳き。
桜の下にて三猿が、三下がりで唄い踊れば手に手、手に手と、合いの手がかかる。
鞠の庭(には)にも猿の神 厩(うまや)の猿の馬暦神(ばれきしん)
  蹴鞠(けまり)の庭(競技場)には猿神(さるがみ)さまが降臨し、
(うまや)の馬は猿の馬暦神(ばれきしん)さまが、お守りになる。
猿と獅子とは文殊の侍宿(じしゅく)
  猿も立派な仏のお弟子、猿と獅子とは文殊菩薩のさむらい同士。
時しも開く 冬牡丹
  ごらんあれ、季節が変わり、今まさしく冬牡丹が咲くところ。
花の富貴(ふうき)の色見えて 栄ゆる御代とぞ祝しける
  富貴(ふうき)の色に照り映えるこの牡丹の花は、主(しゅ)さまの御代(みよ)の栄えを祝う、まことに、おめでたい花なのでございますよ。

(伝承絵)狂言「靫猿(うつぼざる)」
狂言「靫猿(うつぼざる)」




 /// 長唄「猿舞」浄瑠璃歌詞(全訳) 


※太字は原文、細字は現代語訳
2代目 瀬川如皐(1757~1833年)作、長唄「猿舞(さるまい)
ハァ 猿が参りて こなたの御知行(ごちぎょう) ま猿(さる)目出度き能 仕(つかまつ)
  こうやって猿めが参りまして、こなたさまのご知行の地へ、
すぐれてめでたい能を、献上させていただくわけで。
水の月取る猿澤(さるざわ)の 池の漣(さざなみ)ゆうゆうたり 指手引手(さすてひくて)の末広や
  この滑稽な猿めが、愚かにも水面(みなも)の月を盗ろうとする猿沢(さるざわ)の、池の漣(さざなみ)は水量ゆたかに、ゆうゆうと。その流れに身をまかせるように、猿めもこうして、指したり引いたり手を末広に広げたり、たのしく舞わせていただきまする。
月にたとへし 止観(しかん)の窓
  月にたとえた月見障子の、こころを清める止観の窓。
此方(こなた)のお庭を見上(あ)ぐれば 片われ月は宵の程
  こちらのお庭から見上げてみれば、半分かけた月が水平線近く、大きく浮かんでおりました。
可愛い可愛いとさよへ だまして置いて
  可愛い可愛いと夜更けまで足止めしておいて、これはいったいどういうこと?
だまされたのね。
松の葉越しの月見れば (しば)し曇りて又 冴ゆる
  何を待つともなく、松の葉越しにその月を見ていたところ、まるでわたしのこころのように、少しのあいだ曇ったかと思えば、またすぐ冴える月の影。
あすは出(で)ようずもの 船が出(で)ようずもの おもたげなく およるきみよの
  明日にはきっと出航できますね、船はきっと、出てくれますね。
それにしても、お前さまは思い悩む風もなく、よくそんなにぐっすり眠っていられるものだわ。
船の中にはなにと およるぞ 苫を敷き寝の楫枕(かじまくら)
  さて、船の中ではどうやって寝ればよいのやら。
そう聞かれれば、「苫(とま=ござのようなもの)を敷いて、楫(かじ)を枕に」と答えます。えェ、いいですよ、船ではいっしょに寝ましょうね。
晩の泊まりは御油(ごゆ)赤坂に 吉田通ればナァ 二階から招く しかも鹿の子の振袖が
奴島田にたけなが(丈長=髪飾り)かけて さきのが品やる 振込めさ
  晩の泊まりは御油宿か赤坂宿(ともに愛知県豊川市)のはずが、吉田宿(愛知県豊橋市)を通ったところで女郎屋の二階から誘われてしまい。
しかも鹿の子絞りで飾りたてた、色っぽい振袖が目の前をひらひらと。
奴島田に丈長(たけなが)を結んだいい女が、その振袖の先をしなしなさせながら。
だからこちらも木槍(きやり)の先のしなったやつを、えいや女に振り込んでしまえ、とばかりに。
手際見事に投草履(なげぞうり)
ありやんりやりや こりやんりやりや 粋(すい)な目元に転(ころ)りとせ
  手際みごとに投げ草履をし遂(と)げるこの俺さまが、
ありゃんりゃりゃ、こりゃんりゃりゃ。あの女の、粋な目元にころりと騙され。
仇者(あだもの)め 留(と)めてとまらぬ恋の道
  憎くて可愛い、あの女。かように、留(と)められても、とまらないのが恋の道。
馬場先のきやれ(のきゃれ) 色めく飾りの伊達道具
  そこの馬留(うまど)め、馬どけやがれ。
恋の色香にどっぷり染まった、俺の毛槍(けやり)のお通りだ!
昔模様の派手奴 是(これ)(かま)わぬ<構わぬ=鎌輪奴>の始めなり
  この昔風の縫箔(ぬいはく)模様、腰巻丹前姿の派手な奴が「鎌輪奴(かまわぬ)」柄のはじまりなのだ。
鞠の庭(には)にも猿の神 厩(うまや)の猿の馬暦神(ばれきしん)
  蹴鞠(けまり)の庭(競技場)には猿神(さるがみ)さまが降臨し、
(うまや)の馬は猿の馬暦神(ばれきしん)さまが、お守りになる。
猿と獅子とは文殊の侍宿(じしゅく)
  猿も立派な仏のお弟子、猿と獅子とは文殊菩薩のさむらい同士。
時しも開く 冬牡丹
  ごらんあれ、季節が変わり、今まさしく冬牡丹が咲くところ。
花の富貴の色見えて 栄ゆる御代とぞ祝しける
  富貴(ふうき)の色に照り映えるこの牡丹の花は、主(しゅ)さまの御代(みよ)の栄えを祝う、まことに、おめでたい花なのでございますよ。



(伝承絵)長唄「三升猿曲舞」初演時の番附
長唄「三升猿曲舞(さんかくばしら さるのくせまい)」初演時の番附



※長唄「猿舞」は長唄「元禄花見踊」に取り込まれたので、同長唄の解説でも「猿舞」の注解をしています。下記ページでごらんください。
→長唄「元禄花見踊」の歌詞を解析してみた!(別ページが開きます)



歌詞に取り込まれている小歌は、狂言「靱猿(うつぼざる)」や同「猿若(さるわか)」にも登場する、お馴染みの小歌たちです。その「小歌集(=長歌)」を、現代語に変えてざっくり読んでみたくなり、長唄「猿舞」を全訳しました。よろしければ。

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上月まこと

本文・イラストともに上月まこと。一部パブリックドメインの写真や絵画を利用しています。Copyright ©2020- KOUDUKI Makoto All Rights Reserved.




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