/// 謡曲「胡蝶」概要
■作者(作詞作曲)■
観世小次郎信光(かんぜこじろうのぶみつ、1435もしくは1450~1516年)
※略して「観世信光」
■季節
春
■分類
三番目もの・鬘物(かずらもの)
※女性主人公、という意味です。
観世小次郎信光(かんぜこじろうのぶみつ、1435もしくは1450~1516年)は世阿弥元清(ぜあみもときよ、1363頃~1443年)の甥の7番目の子どもです。
最初から才能があったという伝説がありますが、表舞台は兄たちに譲って自分は大鼓(おおかわ)担当になり、その後ワキ師になったという、人材の足りないところを補充して歩いた苦労人の天才です。
ワキ師だったせいか、どちらかというとワキが活躍する作品(「安宅」「紅葉狩」「羅生門」「船弁慶」など)を多く残している印象です。
観世信光作品では、「船弁慶」が特に有名です。
謡曲「船弁慶」 |
個人的には、世阿弥よりずっと好きな作者です。破綻の多い能ストーリー(関係者の皆さま、ごめんなさい!でもたとえば「羽衣」は、物語構成メチャクチャですよね?)のなか、年代的に新しいということもありますが、それを差し引いても完成度が高いところが観世信光作品の特徴です。内容に破綻がなく、構成の細密さがきわだちます。
なかでも「胡蝶」の歌詞はまったく隙がなく、邦楽歌詞の美しさを最大限に堪能できる、一級の芸術作品となっています。
/// 歌詞に登場する、荘子「胡蝶の夢」とは
荘子(紀元前369~286年)「斉物論(さいぶつろん)」より、「胡蝶の夢」 |
むかし、わたし荘周(そうしゅう)は夢で胡蝶になった ひらひら舞い飛ぶ蝶のこと 生きることをたのしみ、心の底から満足していた 自分が荘周(そうしゅう)であるとは知らなかった ふと目が覚めたところ、自分は明らかに荘周(そうしゅう)ではないか しかし考えてみれば 自分は荘周(そうしゅう)の夢で蝶になったのやら はたまた 胡蝶の夢で荘周(そうしゅう)になっているのやら、わからない 自分は自分で変わりはないが 荘周(そうしゅう)と胡蝶では、もちろん形のうえでの区別がある これが万物の変化と言うもの、普遍の真理の象徴なのだ |
やけに実存主義的な荘子の論「胡蝶の夢」を、現代語訳でご紹介しました。
それにしても「荘周(そうしゅう)の夢で胡蝶になったやら、胡蝶の夢で荘周(そうしゅう)になっているやら」とニヒルに構えながら、その書出しが「むかし、わたし荘周(そうしゅう)は夢で胡蝶になった(昔者荘周夢為胡蝶)」なのは興ざめです。
この荘子「胡蝶の夢」は、謡曲「胡蝶」の後半の歌詞に登場します。
/// 歌詞に登場する、因果の小車(おぐるま)」とは
能や狂言も含め、長唄など邦楽では伝統的に「輪廻」や「因果」を、牛車の車輪にたとえます。たとえば次の歌が参考になります。
作者不詳「閑吟集(かんぎんしゅう)」(1518年成立) |
思ひまはせば小車の 思ひまはせば小車の わづかなりける うき世かな (現代語訳) 考えてみれば小さな車輪のように、考えてみれば小さな車輪のように、浮世を急いで駆け抜けたような人生であった。 |
「因果の小車(おぐるま)」は、要するにカルマのことです。こちらも、謡曲「胡蝶」の後半の歌詞に登場します。
唐突ながら、ポール・ケイラス(Paul Carus、1852~1919年、ドイツ系アメリカ人・宗教研究家・哲学者)が著(あらわ)した『カルマ ("Karma"、1905)』という小説を鈴木大拙(1870~1966年、仏教哲学者)が『因果の小車』として発表、同書の「蜘蛛の糸」章を書き直したのが芥川龍之介(1892~1927年、小説家)作、『蜘蛛の糸』です。あの「カンダタ」が出てくるやつですが、内容はポール・ケイラス作品(鈴木大拙訳書)の全コピーです。「芥川龍之介作」という表現に、違和感を覚えるレベル。
明治以降の日本の文芸は、ほんとうに大丈夫なのでしょうか。
/// 歌舞伎舞踊「鏡獅子」の胡蝶
歌舞伎舞踊・長唄「春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし、3代目杵屋正次郎作、明治26=1893年)」胡蝶の段は、まるっと既存の長唄「鏡獅子」(杵屋六左衛門作、何代目か不明)をとりこんでいます。同曲は歌舞伎狂言・歌舞伎舞踊としての上演記録はないものの、長いあいだ名曲として知られていたものです。長唄「春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)」製作者である9代目 市川団十郎(1838~1903年)と作詞者・福地桜痴(ふくちおうち、1841~1906年)がこの名曲を幕間狂言(まくあいきょうげん)がわりにとりこみ、2代目 藤間勘右衛門(ふじまかんえもん、1840~1925年)が振付をしました。
長唄「鏡獅子」は謡曲「胡蝶」を参考にしたもので、「蝶が花に恋する」内容のため別名「胡蝶」と呼ばれています。
上月まことイラスト・長唄「春興鏡獅子」の胡蝶 |
長唄「連獅子」も含め一般的な日本舞踊の発表会では、たいていの獅子もの舞踊の幕間狂言(まくあいきょうげん)にこの長唄「鏡獅子」の胡蝶が上演されます。幕間狂言(まくあいきょうげん)というのは、主役の衣装替えや舞台装置の変更のあいだ、つなぎで上演される別演目のことです。
/// 謡曲「胡蝶」あらすじ
いまだ雪の残る早春のある日、吉野山に住む僧たちが連れ立って、都の春を眺めに出かける。一行は大内裏(だいだいり、平安京の宮城)近くの一条大宮(いちじょうおおみや)へ行きあたり、かつて貴族の邸宅であっただろう、ひなびた古い屋敷を見つけると、階段のあたりで今を盛りと咲きほこる梅の花の美しさに感心する。 そこへ在所の女がやってきて、屋敷のいわれを語るうち「自分はほんとうは蝶の精です。草木の色に心を染め、梢(こずえ)に遊ぶ身ですが、冬には死んでしまうため梅の花には縁がなく、その悲しさから魂が迷っています。ですから今こうして姿を変え、この恨みを念仏で救っていただきたいと、お願いに参ったのです」と、言う。そうして「どうぞ今夜の読経には花の台をご準備ください。夢でまた、きっとお会いします」と懇願する。それから荘子「胡蝶の夢」や、『源氏物語』「胡蝶」に登場する和歌などひき、花に恋する気持ちを切々と訴えながら夕暮の空へ消えて行くのだった。 僧たちは言われたとおり閼伽棚(あかだな)を据え、折り取った梅の枝を花台に置いて経をあげてから、蝶が顕(あらわ)れるのを待って下臥(したぶせ、花の下で寝ること)でうたた寝する。すると「ありがたいこと。お経のおかげで深い恨みが晴れました」と、いう声が聞こえてきた。 |
/// 謡曲「胡蝶」歌詞(抜粋)
春夏秋の花も尽きて 霜を帯びたる白菊の 花折り残す 枝をめぐり 廻り廻るや小車(おぐるま)の 法(のり)に引かれて仏果(ぶつか)に至る 胡蝶も歌舞も菩薩の舞の 姿を残すや春の夜の 明け行く雲に 羽根うちかはし 明け行く雲に 羽根うちかはして 霞(かすみ)に紛れて失せにけり (現代語訳) 春夏秋の花も尽きたころ 霜を帯びた白菊の花が折り残されて、 枝にぽつんと咲いています 枝から枝へと飛びめぐるように、 廻る廻るよ、因果の小車(おぐるま)が 仏の教えに導かれ、ようやく成仏できました こうして胡蝶の舞も菩薩の舞となり おぼろな姿を残しつつ、明けてゆく夜の雲に向かって 羽をひらひらと打ち合わせつつ、明けてゆく夜の雲に向かって 羽をひらひらと打ち合わせつつ、朝の霞(かすみ)にまぎれるように 蝶は消えたのでございました |
能「胡蝶」 |
全訳したいぐらいに美しい歌詞の、ほんの一部を紹介しました(文字数が多くてブログページにはおさまらないです。残念!)。ほんの少しでもご観覧のお役に立てたら、うれしく存じます。
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上月まこと
本文・イラストともに上月まこと。一部パブリックドメインの写真や絵画を利用しています。Copyright ©2019- KOUDUKI Makoto All Rights Reserved. |
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