2019年12月10日火曜日

胡蝶も歌舞も菩薩の舞の~「胡蝶」という謡曲


Nou Kochou an old picture : (伝承絵)能「胡蝶」タイトル画




 /// 謡曲「胡蝶」概要 


■作者(作詞作曲)
観世小次郎信光(かんぜこじろうのぶみつ、1435もしくは1450~1516年)
※略して「観世信光」

■季節


■分類
三番目もの・鬘物(かずらもの)
※女性主人公、という意味です。


観世小次郎信光(かんぜこじろうのぶみつ、1435もしくは1450~1516年)は世阿弥元清(ぜあみもときよ、1363頃~1443年)の甥の7番目の子どもです。

最初から才能があったという伝説がありますが、表舞台は兄たちに譲って自分は大鼓(おおかわ)担当になり、その後ワキ師になったという、人材の足りないところを補充して歩いた苦労人の天才です。

ワキ師だったせいか、どちらかというとワキが活躍する作品(「安宅」「紅葉狩」「羅生門」「船弁慶」など)を多く残している印象です。

観世信光作品では、「船弁慶」が特に有名です。

Nou Funabenkei an old photograph : (歴史的写真)能「船弁慶」
謡曲「船弁慶」

個人的には、世阿弥よりずっと好きな作者です。破綻の多い能ストーリー(関係者の皆さま、ごめんなさい!でもたとえば「羽衣」は、物語構成メチャクチャですよね?)のなか、年代的に新しいということもありますが、それを差し引いても観世信光作品は完璧です。内容に破綻がなく、構成の細密さがきわだちます。

特に「胡蝶」の歌詞にはまったく隙がなく、邦楽歌詞の美しさを最大限に堪能できる、一級の芸術作品となっています。




 /// 歌詞に登場する、荘子「胡蝶の夢」とは

荘子(紀元前369~286年)「斉物論(さいぶつろん)」より、「胡蝶の夢」

むかし、わたし荘周(そうしゅう)は夢で胡蝶になった
ひらひら舞い飛ぶ蝶のこと
生きることをたのしみ、心の底から満足していた
自分が荘周(そうしゅう)であるとは知らなかった
ふと目が覚めたところ、自分は明らかに荘周(そうしゅう)ではないか
しかし考えてみれば
自分は荘周(そうしゅう)の夢で蝶になったのやら
はたまた
胡蝶の夢で荘周(そうしゅう)になっているのやら、わからない
自分は自分で変わりはないが
荘周(そうしゅう)と胡蝶では、もちろん形のうえでの区別がある
これが万物の変化と言うもの、普遍の真理の象徴なのだ


やけに実存主義的な荘子の論「胡蝶の夢」を、現代語訳でご紹介しました。

それにしても「荘周(そうしゅう)の夢で胡蝶になったやら、胡蝶の夢で荘周(そうしゅう)になっているやら」とニヒルに構えながら、書出しが「むかし、わたし荘周(そうしゅう)は夢で胡蝶になった(昔者荘周夢為胡蝶)」なのは興ざめです。

この荘子「胡蝶の夢」は、謡曲「胡蝶」の後半の歌詞に登場します。




 /// 歌詞に登場する、因果の小車(おぐるま)」とは 

能や狂言も含め、長唄など邦楽では伝統的に「輪廻」や「因果」を、牛車の車輪にたとえます。たとえば次の歌が参考になります。

作者不詳「閑吟集(かんぎんしゅう)(1518年成立)

思ひまはせば小車の
思ひまはせば小車の
わづかなりける
うき世かな

(現代語訳)
考えてみれば小さな車輪のように、考えてみれば小さな車輪のように、浮世を急いで駆け抜けたような人生であった。

「因果の小車(おぐるま)」は、要するにカルマのことです。こちらも、謡曲「胡蝶」の後半の歌詞に登場します。

唐突ながら、ポール・ケイラス(Paul Carus、1852~1919年、ドイツ系アメリカ人・宗教研究家・哲学者)が著(あらわ)した『カルマ ("Karma"、1905)』という小説を鈴木大拙(1870~1966年、仏教哲学者)が『因果の小車』として発表、同書の「蜘蛛の糸」章を書き直したのが芥川龍之介(1892~1927年、小説家)作、『蜘蛛の糸』です。あの「カンダタ」が出てくるやつですが、内容はポール・ケイラス作品(鈴木大拙訳書)の全コピーです。「芥川龍之介作」という表現に、違和感を覚えるレベル。

明治以降の日本の文芸は、ほんとうに大丈夫なのでしょうか。




 /// 歌舞伎舞踊「鏡獅子」の胡蝶 

歌舞伎舞踊・長唄「春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし、3代目杵屋正次郎作、明治26=1893年)」胡蝶の段は、まるっと既存の長唄「鏡獅子」(杵屋六左衛門作、何代目か不明)をとりこんでいます。同曲は歌舞伎の上演記録はないものの、長いあいだ名曲として知られていたものです。長唄「春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)」製作者である9代目 市川団十郎(1838~1903年)と作詞者・福地桜痴(ふくちおうち、1841~1906年)がこの名曲を幕間狂言(まくあいきょうげん)がわりにとりこみ、2代目 藤間勘右衛門(ふじまかんえもん、1840~1925年)が振付をしました。

長唄「鏡獅子」は謡曲「胡蝶」を参考にしたもので、「蝶が花に恋する」内容のため別名「胡蝶」と呼ばれています。

Kabuki Kochou : 上月まこと画、長唄「鏡獅子」胡蝶
上月まことイラスト・長唄「春興鏡獅子」の胡蝶

長唄「連獅子」も含め一般的な日本舞踊の発表会では、たいていの獅子もの舞踊の幕間狂言(まくあいきょうげん)にこの長唄「鏡獅子」の胡蝶が上演されます。幕間狂言(まくあいきょうげん)というのは、主役の衣装替えや舞台装置の変更のあいだ、つなぎで上演される別演目のことです。




 /// 謡曲「胡蝶」あらすじ 

いまだ雪の残る早春のある日、吉野山に住む僧たちが連れ立って、都の春を眺めに出かける。一行は大内裏(だいだいり、平安京の宮城)近くの一条大宮(いちじょうおおみや)へ行きあたり、かつて貴族の邸宅であったろう、ひなびた古い屋敷を見つけると、階段のあたりで今を盛りと咲きほこる梅の花の美しさに感心する。

そこへ在所の女がやってきて、屋敷のいわれを語るうち「自分はほんとうは蝶の精です。草木の色に心を染め、梢(こずえ)に遊ぶ身ですが、冬には死んでしまうため梅の花には縁がなく、その悲しさから魂が迷っています。ですから今こうして姿を変え、この恨みを念仏で救っていただきたいと、お願いにし参ったのです」と、言う。そうして「どうぞ今夜の読経には花の台をご準備ください。夢でまた、きっとお会いします」と懇願する。それから荘子「胡蝶の夢」や、『源氏物語』「胡蝶」に登場する和歌などひき、花に恋する気持ちを切々と訴えながら夕暮の空へ消えて行った。

僧たちは言われたとおり閼伽棚(あかだな)を据え、折り取った梅の枝を花台に置いて経をあげてから、蝶が顕(あらわ)れるのを待って下臥(したぶせ、花の下で寝ること)でうたた寝する。すると「ありがたいこと。お経のおかげで深い恨みが晴れました」と、いう声が聞こえてきた。




 /// 謡曲「胡蝶」歌詞(抜粋) 

春夏秋の花も尽きて
霜を帯びたる白菊の 花折り残す
枝をめぐり 廻り廻るや小車(おぐるま)
(のり)に引かれて仏果(ぶつか)に至る
胡蝶も歌舞も菩薩の舞の
姿を残すや春の夜の 明け行く雲に
羽根うちかはし 明け行く雲に
羽根うちかはして 霞(かすみ)に紛れて失せにけり

(現代語訳)
春夏秋の花も尽きたころ
霜を帯びた白菊の花が折り残されて、
枝にぽつんと咲いています
枝から枝へと飛びめぐるように、
廻る廻るよ、因果の小車(おぐるま)
仏の教えに導かれ、ようやく成仏できました
こうして胡蝶の舞も菩薩の舞となり
おぼろな姿を残しつつ、明けてゆく夜の雲に向かって
羽をひらひらと打ち合わせつつ、明けてゆく夜の雲に向かって
羽をひらひらと打ち合わせつつ、朝の霞(かすみ)にまぎれるように
蝶は消えたのでございました


Nou Kochou an old picture : (伝承絵)能「胡蝶」
能「胡蝶」


全訳したいぐらいに美しい歌詞の、ほんの一部を紹介しました(文字数が多くてページにおさまらないです。残念!)。ほんの少しでもご観覧のお役に立てたら、たいへん光栄に存じます。

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上月まこと

本文・イラストともに上月まこと。一部パブリックドメインの写真や絵画を利用しています。Copyright ©2019- KOUDUKI Makoto All Rights Reserved.




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